ルナティックの意味
ドビュッシー「月の光」
昔から、満月の夜と人間の精神の関係性、特に「狂気」との繋がりについては、様々なことが伝説のように語られてきました。
満月の夜は殺人事件が多い。
満月の夜は精神病棟が荒れる。
また満月の夜に狼になるという「狼男」の伝説なども有名ですよね。
人間が狼に変身する伝説は、古くギリシア・ローマの時代までさかのぼる。満月の光によって狼に変身し、おもに人の血や肉を求めてさまよい歩くが、夜明けとともに人間に戻る。

たとえば、狂気とまでは言わなくとも、理由もなくイライラや不安に襲われる夜に、ふと空を見上げると満月だった、という経験はないでしょうか。
こうした古くから伝わる満月と精神の関係性の痕跡については、英語の「狂気」を示す言葉にも隠されています。
ルナティック
英語には、insaneとlunaticという二つの「狂気」を意味する言葉があります。
このinsaneとlunaticの細かな意味の違いについて語られた、村上春樹さんの小説『1Q84』のある会話のシーンを紹介したいと思います。
ねえ、英語の lunatic と insane はどう違うか知っている? と彼女が尋ねた。
どちらも精神に異常をきたしているという形容詞だ。細かい違いまではわからない。
insane はたぶんうまれつき頭に問題のあること。専門的な治療を受けるのが望ましいと考えられる。それに対して lunatic というのは月によって、つまり luna によって一時的に正気を奪われること。
十九世紀のイギリスでは、 lunatic であると認められた人は何か犯罪を犯しても、その罪は一等減じられたの。その人自身の責任というよりは、月の光によって惑わされたためだという理由で。信じられないことだけど、そういう法律が現実に存在したのよ。
つまり月が人の精神を狂わせることは、法律の上からも認められていたわけ。どうしてそんなことを知っているの? と天吾は驚いて尋ねた。
そんなにびっくりすることはないでしょう。私はあなたより十年ばかり長く生きてるのよ。だったら、あなたより多くのことを知っていてもおかしくない。
出典 : 村上春樹『1Q84』より
月(luna)によって生じる狂気。満月と狂気の関係性は、英語の「狂気」の語源にも隠されているのでした。